立ち読みの在り方

困るのは新刊の日(特に電撃文庫)です。

立ち読みの人が並んで本が取れないよ!(泣

このブログではいくつかの制約を自分に課していて、そのうちの一つが「お客さまのことは書かない」なので、立ち読みの話題はどうしても避けがちだった。しかし、引用元のように、いきすぎた立ち読みに困っている本当の「お客さま」がいるのであれば、考えないわけにはいかない。良い機会なので、少し書いてみる。
しかし、言いたいことのほとんどは、架空の線上 - 立ち読みは邪魔か?(ラノベに限らず)とほぼ同じなので参照いただきたい。あとは、やはり、読者側の意識の改革が必要だと思う。紐掛け、シュリンクしてある本については、読めないということは、暗黙の了解になっているが、それ以外の本について、「自由に読んでいい本」という意識の方が大半ではないだろうか。しかし、これは、本来は「試し読み可」の意味である。本を隅から隅まで読まれてしまっては、僕らは書店で何を売っているのか分からなくなってしまう。本とは「情報をパッケージ化したもの」なのに、「情報」だけ抜き取られたのでは、本の価値が半減してしまう。通常陳列されている本は「一部分を読んで買う価値があるか検討するためのもの」という意識を持ってもらえれば、長時間の立ち読みで棚前をふさぐことはなくなるだろう。また、シュリンクする必要もなくなり、書店にとってはコスト減、読者にとっては内容を確認してから購入できる、と誰にとってもよいことだらけだ。
それと、書店にある本は、購入されるまでは「書店のもの」であるという意識ももってほしい。自分の本が汚されたりすることを想像できれば、書店の本をぞんざいには扱えないだろう。
是非ともこんな日が来てほしいと思っている。例によって、あまりにも理想論ではあるけれども。
あと、リンク先のはてブコメントにあるように「スリップ(短冊)を栞代わりに使うのは迷惑だったのか……」と思っている方はたくさんいそうだ。なぜ迷惑なのか説明させてもらう。というか、理由は一つ。「スリップは書店業務にとって非常に重要」だからだ。スリップが無いと、(販売済み商品として扱われるため)返品ができない。また、発注作業にスリップを使うことが多く、紛失するとしばらくの間発注できず、結果、売り逃しが発生してしまう。スリップを栞として使われると、開いただけで落ちてしまい、紛失されることがままある。また、販売時には抜き取るのだが、抜き取りにくかったり、そもそもスリップを見付けづらい状況になったりする。そうすると本をめくりながらスリップを探さなければならないのだが、それを見たお客さまからすれば「なに人の買った本の中身見てんだよ!失礼な!」ということになりかねない。ですから、スリップを栞代りに挟み込まないでほしいのだ。そもそも、前述の通り「試し読み」という意識をもってもらえれば、文庫、文芸書で、スリップが出てくるまで(スリップは大体真ん中あたりに挟み込まれている)読むことは無くなるはずだ。あるいは、スリップが出てくるまで読んだのなら、それはもうあなたにとって、十分に買う価値のある本なのだから、是非ともご購入いただきたい。